5月14日(月)
今日は午前中、事務所で久しぶりに書類の整理などをしまして、午後は近江八幡市役所で農政の課題など勉強させていただきました。 これから国政選挙も始まりますが、格差問題と合わせて農業問題は大きな争点になると思います。民主党では農林漁業再生プランを示していますが、その中でも直接支払い制度が重要です。まじめに農業に取り組んでいる約200万戸程度の農家を対象に所得保障することにより米の生産調整はなくなり、民主党が政権を獲得すれば10年で日本の食料自給率も40パーセントから50パーセントに引き上げることが可能になります。 このことをぜひ広く訴えていくとともに、農業に従事している皆さんの声を直接お聞きしていきたいと思います。
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5月13日(日)
今日は市内で開催された滋賀県腎臓病患者福祉協会の総会に出席させていただきました。人口透析治療を受けながら社会で活躍されている皆さんで組織されている団体で、総会に合わせて35年表彰をはじめ長期透析を受けながらがんばっている皆さんの表彰が行われました。 内部障害者ということで外見からは障害の程度はわかりませんが、透析患者さんは生死を賭けて治療を受けながらそれぞれ社会生活の中でがんばっておられます。 私も若いときに福祉事務所で働きざかりの所帯主さんが透析治療を受けることになって医療費や生活費の負担で大変御苦労されている姿を多く拝見いたしました。30年を経て治療費の公費負担や透析技術も向上してきましたが、まだまだ多くの課題があります。総会資料では臓器移植医療の推進や内部障害者の就職制限・差別の排除、雇用の確保など患者さんの願いが多く掲載されていました。これらを国・県・市町村は謙虚に受け止め改善に向けた努力をしなければなりません。私もがんばります。(帰りに患者の皆さんの食べておられる治療食を頂戴し、おいしくいただきました。ありがとうございました。)
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5月12日(土)
二日間の長い長い臨時議会が終了し、今夕かえって来ました。戦後の滋賀県政の中で初めてといわれる非自民党系の県議会議長誕生という歴史的な瞬間を体験し、緊張感は最高潮でした。自民党系会派の強い抵抗の中で深夜の開会という異例の事態でしたが、民主党・県民ネットワークはこの春の県議選で示された県民の意思(民意)を実現すべく、16人全員が固い結束をしながら、他の2会派と新幹線新駅凍結そして嘉田県政を是々非々で支えるという連携をしながら非自民系の議長誕生を実現しました。これから、県民の暮らしや環境を守り、子育てを充実する新しい滋賀の将来を展望しながら県民に開かれた県議会を目指して頑張ります。
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5月8日(火)
昨日に続き、5月11日臨時会に向けての世話人会の開催、調整が続くも結論が出ず、民主党・県民ネットワークも午前中をもって散会しました。 午後は、市役所を訪問しバランスシートによる財政分析手法について勉強をさせてもらいました。県政においても造林公社など外郭団体の負債などが大きな課題になっています。一般会計のみならず企業会計、外郭団体などトータルにそして連結して財政分析することが必要です。子孫に大きなつけを残さぬよう、行政も議会も課題を先送りすることなく努力することが必要です。
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5月7日(月)
連休明けで、いよいよ今週は県議会の役員人事が決定されます。今日はまだ調整中の段階ですが、民主党・県民ネットワークでは意思統一と経過報告を兼ねて終日メンバーが揃いました。6月定例会に向けての対応協議を含めて活発な意見交換もいたしました。16人と大所帯ですが、チームワークとそれぞれのモチベーションは最高潮です。 県政の大きな変革期にあって、県民の皆さんが示された願いや思いを実現するために会派全員が一意団結して邁進します。 一昨日、エキスポランドの事故で尊い命が奪われました。被害に遭われた女性が東近江市の方ということで会派の中でも話がありましたが、綱渡りのような安全対策で平然と営業している企業の体質にあ然としてしまいます。おそらくこれまで多くの「ヒヤリ・ハット」があったと思います。その時になぜ万全を期さなかったのか、本当に悔やまれます。被害に遭われた女性のご冥福を心からお祈りいたします。
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5月6日(日)
連休最後の日曜日、あいにくの雨でしたが、賀茂神社の「足伏の走馬」の行事に参加して参りました。これは千年以上続く古式の競馬神事で賀茂神社の馬場を古式の装束で身を包んだ騎手が疾走します。毎年遠くからも勇壮な瞬間をカメラでとらえようと多くの人達が訪れます。昨日に続き近江八幡の豊かな歴史文化に触れる機会を得て幸せでした。近江八幡のまちづくりにはこのような歴史文化の大きな流れがその背景にあります。これからも末永く大切にしていきたいものです。
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5月5日(土)
今日は資料館で開催された「ひむれの里茶会」に招待されました。「ひむれの里茶会」はかつて豪商と呼ばれた八幡商人たちが京都の文化を八幡へということで開催されたもので資料館によって復活されました。京都から速水流家元を招いて供茶の儀式が行われましたが、八幡商人たちの文化に対する深い思いに触れ心豊かになる一日でした。
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